天鼓道場 Dojo Tenko


「無 ~ 創造」

Essay

無題無名学ノ志夢現 October 2006」

October 2006,

「 無題無名学ノ志夢現 」

オーストラリア最大都市 ~ Sydney ~

ここオーストラリアへ来て早 3 年半の月日が流れた。

シドニーでの日々の生活、うっとうしい日常から暫らく離れる事とした。

和太鼓を連れ添い旅に出る。(まるで寅さんの様に。)

観光に行く或いは各地で開催される祭りに参加するというより、今までに触れた事の無い景物との邂逅そして、その土地の豊かな人間性の中にある現実に即した感動に心願を起こす。そう、ここはオーストラリア大陸である。

心願の中に持ちえぬ深みと原点に感情の解放が伴う。そこに、今回の旅奏の最たるものがある。

“群棲ノ習性此容易イ入道望ム一人静及己タレ”

“天地万物正大ノ原動力為リ、流レガ神デアリ、流レノ先ガ天ト為ル”

「足の向くまま、気の向くまま、此れの如くは、風の吹くままに」

8 月 27 日早朝シドニーを発つ。

2 ヶ月程オーストラリア最大の都市を離れるとする。

夢と現の冒険いや放浪であろう。

5 月の Cairns への旅同様、尺六宮(シャクロクミヤ)・締・鉄筒 3 点を連れ添う。

宮太鼓、鉄締太鼓、鉄鼓(テツヅヅ)、何れも諏訪響(ヒビキ)太鼓店で創られた打楽器。やはり愛着がある。

更に進む“一人旅放浪”空路編、現実予算無く全行程の車での移動を断念。 3 ヶ所全て空路での乗り継ぎ移動とした。前日に宮太鼓を梱包し、他 2 点はスーツケースに詰め込む。かなりの重量オーバーは承知の上。そして予算もオーバー。

(今回は相当金が掛かった。)



無謀と言う人もいた。

大抵の者は保証を選ぶ。現実確かにそうだろう。

それは人により、そして本人による、決断の中の断行、引いたら出来ない。

特別の目的意識も行ってみないと予定は分からない、その時になってみないと。

和太鼓を背負って旅に出る。先が見えない事に挑む。

かつて“イン・パシ”大陸横断鉄道夜行列車での旅を思い出した。

今回の旅ホント夜行列車みたいな物だ。行く先々で色々な風が吹く。

そこにそれぞれの目的がある。

月の町 ~ Broome と一人の潜水夫~  Broome Time

Broome Airport 到着 8 月 27 日 19 : 30pm 女性 2 人の出迎えを受ける。何れも Aboriginal Japanese の混血だという。何となく親しみを感じ、暖かく迎えてくれた。そして、 Turn Table から荷物を Pick Up する。その中で太鼓台が何らかの影響で壊れていた。元々廃材で作った自作台である為無論上等な物ではない。

出迎えてくれた 1 人の女性の父親は生粋の日本人でかつての Pearl Diver 潜水夫だという。 1955 年、若干 21 歳の若さで 和歌山県太地町 から海を超えここ Broome にやってきた。この方が快く太鼓台修理を引き受けてくれた。お蔭様で無事演奏する事が出来た。この方約 8 年間真珠採取ダイバーとして働いたという。当時は、近代潜水設備のない時代で大変な御苦労があったかと伺い知る事が出来る。数年で帰国するつもりだったがローカル先住民の女性と結婚した。その当時結婚に至る話を実家 太地町 の母に話した際、心理的衝撃を受け泣かれたという。長男として親の面倒を見るといった“シキタリ”が強く、この方も随分悩んだという。ほんの束の間の昔話を涙ながらに語ってくれた。

私は去る 29 日、日没前に“ Japanese Cemetery ”日本人墓地にて先祖の霊魂を敬う為、一打奏開始する為り。此れは極秘でもあった。

日が沈みかける。そして瞬に陽が沈んだ。

沈んでもただ一心にひたすら叩き続ける。

日本太鼓師、御諏訪太鼓宗家「日輪燦然(ニチリンサンゼン)として宇宙に輝き、月光蒼煌(ゲッコウソウコウ)として四海(シカイ)を照らす」と祝詞ス。

鼓訓伝、信濃之国一ノ宮諏訪大社太々神楽。

「“神音”」

切れ間なく時早打ち為事 御諏訪太鼓伝承打法「陰陽の桴枹」為。

始まったら最後、ひたすら打ち続ける、たとえ腕指折れ、血吹き肉皮破れ様と容赦せずひたすら叩く。鳴り止むことは無い。

複式複打法祈願感謝勇断然闘争心血炎生命力此点ト為リ(御太鼓諏訪鼓訓道)

無数のキャンドル、 900 人以上に上る無数の墓石の中で和太鼓を一人叩く。

そして、この場に 30 名程の日本人の血筋を引いた、 Aboriginal Japanese とかつての日本人真珠採取ダイバーが見守る。

今までかつて例の無い日本墓地内での日本太鼓の筆頭、御諏訪太鼓の独奏。

墓地入り口に記念碑がある。演奏前に一礼する。(故、笹川良一先生、御尽力)

出会った素朴な人柄の一人の日本人と素朴な独奏の叙情的響きと轟に包まれた和の情緒。人の心が表れ、この一人の日本人の心に風をもたらし太鼓の音色が、人の鼓動を刺激する。演奏後の余韻の中、私に歩み寄り涙を流しながら深い一礼と共に御礼を述べて下さった。私の心に喜びと深い情が込み上げた。

“「言葉なくして人の心を打つ」”(鼓一打動為リ)

そして、明くる日出迎えてくれたもう一人の女性の計らいで子供達に Workshop を行う。私の意見も加味し“ Aboriginal Child Care Centre” にて現地のちびっ子と大変有意義な時間を送れた。ちびっ子達は目を輝かせて接してきた。実にピュアである。協力して頂いた Jo-Anne には感謝申し上げたい。

Click here to see more Pictures in Broome

真珠祭当日は Opening Ceremony(Jump to Photo Garelly) で御諏訪太鼓を独奏させて頂いた。これも大変有意義なものであった。 和歌山県太地町 との姉妹都市提携 25 周年記念、 太地町 長、議長、在パース日本国総領事(有吉氏)、他参列の下、鏡割りと共に盛大に祝われた。

そして、この晩は Ball(Jump to Photo Garelly) で Western Drum と African Drum との即興 Percussion 。何が何だか分からない間に Jam は終わった。何故なら彼らは随分酔っ払っていた。(まあ、いいだろう。)しかし、音楽に国境は無いというのは真にその通りである。反面、かつて見た師、小口大八宗家とドラムの王様故、ジョージ川口先生との共演を彷彿させた。あれは実に見事な共演であったと振り返る。

ここ Broome での矢継ぎ早での演奏、映画のロケ、パレード他数多くの出会いの中にも多少のプロテストもある。

これが旅であり、旅の一部に過ぎない。又此人生為。

出会った現地の人々とお世話になった方々に感謝申し上げたい。

WA 州北西部「 Broome 」。 WW Ⅰ前は真珠養殖産業で栄えた町。今回 36 回目となる「真珠祭」にて奏する。実物を見て歩く情緒ある一情景そして、視界に入る無数の名。 900 人以上が眠るという日本人墓地は安らぎと流れを強く感じる。幾多の災害で年々風化が進んでいるとの事。故笹川良一先生により景観が復興維持されたという。過酷な現場と数多く向かい合った先人の活動の真実。我々或いは将来の世代の為にも残しておきたい誇らしい世紀の遺物と見る。

さて、次はオーストラリア大陸中心部への移動となる。

I don't know much about Broom. But the Cable Beach for landscapes sunset nothing compares it's just amazed by the fantastic. Since I've visited in Broom I've become more interested in local people. So live life change experience that's the most important of my life which means time and space.

Sadly, once again the Japanese Cemetery has been damaged by young vandals. Some of the headstones have been broken, it is very sad. But I can still walk through and pay respect, the cemetery is quit large and there is a huge memorial to the divers who lost their lives in bad weather during a cyclone.

聖なる地 ~ Central Australia ~

Out Back  ~ From Alice Springs to Uluru ~

Alice Springs 空港には 1 人の Oz 男性が迎えに来て下さった。この方は英、仏語そしてアボリジニ言語が堪能だという。この方を Mr. AbOz と呼ぶことにしよう。ここ A.S は多くの先住民アボリジニが住んでいる。彼は何逃げなく普通にアボリジニ言語で意思の疎通を図っている。そんな中私は数日間祭りの Set Up の手伝いをする事になる。先住民がステージにて合唱する予定があるという。そして先住民のキーパーソン長老を紹介される。どこか威厳を感じる人物だ。その後私は ABC ラジオのインタビューを受ける事となる。

Alice Desert Festival では 2 日間に渡り、演奏と Workshop がプログラムに組み込まれていた。多くの子供達は日本太鼓の音色に興味を示す。又、宮太鼓胴回りの漢字の彫刻と御幣にも興味を持った様だ。そんな中、品の有る老夫婦から飛行機のフライトが 11 : 30am の為、その前に演奏して欲しいと言われ予定外のパフォーマンスも追加された。



2 日目、見物に来たあるローカルの御夫婦が話しかけてきた。御主人が米 S.F の出身で私の着ていた 「 S.F TAIKO DOJO 」のロゴの入った T-Shirt を見て、しきりに質問してきた。最近ある太鼓団体がここ A.S にコンサートに来たらしい。それはそれで良かったが、やはり日本人が打つ TAIKO は一味違い、日本人独特の華麗さ優雅さが有り、見ている方も引き込まれる所があるという。しかも、至近距離で見せる、観られるといった雰囲気がお互いの距離を縮めていた様である。私は 1 人旅演奏している訳だが、この様な所懐を述べられると来て良かったと意義に感じる。

A.S には結局 20 日間滞在した。この間芸術音楽家宅での滞在期間は何とも言えない切ない経験でもあった。彼は囚人上がりの音楽家兼デザイナーである。彼の音楽センスはすばらしい。専属の Editor が彼の企画をサポートしている。

服役中に音楽と出会い、 Latin, African 含めあらゆるリズムと音楽に秀でている。又、その間に多くの宗教、文化を学んだ異色の音楽家である。デザイナーとしての能力も高く評価されている。そんな彼が歴史ある復元された軍楽、神楽御 諏訪太鼓打法に興味を抱いた。

祭り終了の翌日、彼は自宅で電話の最中に突然泣き出していた。電話を切っても泣き沈んだ時間が暫らく続いていた。そして私に話しかけてきた。どうも失恋したらしい。かなり落ち込んでいる事が伺えた。

今回の祭りでの彼の Mandolin での演奏と歌声には感心した。仕事の方も順調に進んでいる様で微笑ましいと思った程だ。傷心に浸る彼の姿を見て、回想する自分が空しいと知る。

ここにも一つのドラマがあった。

その数日後、未明寒さでふっと目を覚ました。部屋の窓越しから月明かりが差し込んでいる。そして、部屋のドア越しからは彼のすすり泣く声がかすかに聞こえる。

この日、彼はギター片手に曲作りを再開していた。 Latin Rhythm の中、彼の歌声が心に沁みる。

彼は別れ間際、数枚の CD を私に渡した。この中に彼の人生が詰まっている。彼は自分の歌を“ Gypsy ”だと言う。こんな生活を続けている彼からは、面白い程ゆとりが感じられる。そして、彼は自慢の車で何事も無かった様に次の仕事先 Melbourne へ旅立った。

新しい 1 ページが捲られ新たな旅が始まる。

Everything will be all right!! Everyday changing that life is sports.

Northern Territory, Out Back ~人の住む所~

 人間であれば、

 人間として生き生きと、

 人間として伸び伸びと、

 人間らしい生命力と輝きに満ち溢れる。

ここ Central Australia は特別な場所だと感じた。

その土地の時間の流れ、時の推移がある様だ。

予定は未定でコロコロ変わり、面食らう事もしばしば有ったが、

人々に順応する必要がありそうだ。

2001 年 9 月ここでの先住民達の Miraculous Magic 。

多くの人達は語ろうとしない。いや上手く説明が出来ないのであろう。

先住民の脅威に思わず身震いしたという。

先住民にとって特別な地であるが故に、不思議な場所である。

Aboriginal people have mysterious power. The “Secret Life” of the Aborigines matter of practical bush skills and profound knowledge of the environment to the Aboriginal wisdom and power even tribal ceremony.

The Aboriginal way ever held the key to the great force of the universe ever.

The life change experience to knowledge becomes wisdom only after it has been put to practical use in my life.

“Taiko Music of the God”

All are connected.

私は Mr. AbOz と Jr と共に彼の車で Lasseter Hwy を走らせ、次の目的地 Uluru ( ULU R U - KATA TJU T A NATIONAL PARK )へ向かった。

聖域 ~ Aboriginal Free Hold Land ~

この日の 20 : 00pm 近く“ Uluru - KataTjuta National Park ”に指しかかる、入り口 Gate を Free Pass し Local Community へ直行。

Ayers Rock 麓には一般観光客が入れない区域がある。そこは正真正銘の生粋、元祖アボリジニの居住区の集落 ”Local Community” である。したがって、ここ聖域は彼らの生活の場である事を理解しなければならない。


「Sunrise in Uluru」


「Sunset in Uluru 」

ここに掲載の写真・案内文等の無断転載、複製は固くお断りします。
No reproduction or republication without written permission.

Mr. AbOz の家は“ Aboriginal Free Hold Land ”にある。今まで見たことも無い自然の景観とこの家のテラスから視界に入る幻想的な世界が在った。

単なる観光ツアー参加でなく、 Aboriginal Culture Rule を知り尽くしている彼の案内は、非常に貴重な時間を共有、過ごしていると感じる。

時間が刻々と過ぎていく中、ここ聖地は別の顔、表情を浮かべ人々を魅了させている。

この晩私は一人外の庭先で焚き火と一匹の Puppy を脇に、満点の夜空を彩る“ Milky Way ”と“ Southern Cross ”を眺めながら眠りについた。






「集落の一望」

翌朝、聖地の先住民族を紹介される。その内の 1 人は、 QANTAS airplane へ Aboriginal Painting を手がけた人である。

ここでの先住民は外部からの人間を快く受け入れない慣習が強い。

前触れも無く突然私に許可が下りた。過去に例の無い予想外の展開と前代未聞の儀を行う事になった。

参考までに、本年 8 月に某日本旅行代理店主催の祭りが Resort Town 内で行われた様である。(無論 National Park 外である。)

日本太鼓筆頭“御諏訪太鼓”と生粋の先住民族との異文化交流が行われた。

初めて接見する和太鼓と生粋の日本人の演奏。演奏前私は日本太鼓師、小口大八宗家の太鼓訓、教えに準じ“天地の神”に祈願する。

全ては神仏との会話から始まる。舞台終了後、子供達に Workshop も行った。



実はこの間に、“ Japoriginal ”たる者の存在を知る事となる。 Mr. AbOz と一人の日本人の 30 年近く前に遡る Story を聞く事になる。

午後は近場を探索する。

We do not discuss climbing it. (Ayers Rock)

I walk around the base. I know I must look the same.

先住民は一枚岩に登る観光客に対して異議を唱える。

皆興味本位で登っている様だ。

自ら登る必要もなければ写真を撮る必要もない。

滞在 2 日目更なる演奏依頼を受ける。地元長老含めかなりの数の先住民が参列されている。この日再び祝詞を上げ演奏させて頂いた。



“ One Generation ”生粋の先住民の子供達の瞳、太古の時代の風習を忠実に受け継いでいる彼ら。演奏後の Workshop 、最初は非常に Shy であった。照れ笑いしつつ和太鼓を見つめ叩き始める。初めて叩く音に反応を示す。直ぐ様他の面々も飛びついてきた。一人の女の子は私の履いていた“足袋”に興味を示したので履かせてあげた。顔を隠し、はにかんでいる表情は純粋清らかである。

この日の午後は Mr. AbOz の勧めもあり、“ Kata Tjuta ” へ向かった。彼の車を借り約 50km 先の“ The Olgas ”へ車を走らせる。通称「風の谷」と言われる。

自分の声が木霊する。この壮観な景観は見応えがあった。



最終日の昼休み、皆へさよならの挨拶を済ませ Community を去る。

子供達がえらい勢いで追いかけて来た。

「今日は Drum はやらないの?」と一言訊ねてきた。

(去らなければならない。)再会を約束する。

自ら車を走らせ Airport へ向かい集落を後にした。

この場所でどの様に過ごしたか、どの様な滞在であったか。

子供達の純粋な態度と行為に直面し視野が狭い社会での思考が今日の経済社会と時代を形成している事に気付く。

現代のテクノロジーを操る人間の心がこの大自然にどう働きかけるか踏まえ、人間関係の価値を見出す事が文化であり、そして人々との“ふれ愛”となりこれこそが感慨深い事であると主張したい。

大人としての振る舞いの中に何かしら歪みを生ずる事が日常起き続けている。

幅、価値を計る事の出来る人間でなくてはならない。

この純な気持ちが証となり質となる。

神聖な地域に先住民族が残した跡。
歴史の中に自然に対する人間の営みが介在しており、自然美から受けた影響が文化となり、それこそが人間の本質価値ではなかろうか。雄大な自然の中から豪大陸の歴史的背景と文化の成り立ちを垣間見る事が出来る。
赤土と共に生きる生活に魅せられて。



余、天地万物の自然界を和太鼓で奏で得るにはここ豪は最も適し調和作用できると心表れる。即ち、雄大見事な“大自然が和太鼓であり、和太鼓が大自然である”これが自己の現れである。自然界を離れて私の太鼓奏を現じる事は無い。自然との反影が思惟創造となり特有なる発展個人性が現れる。改めてこの大陸の魅力を感じる。私の郷里は信州八ヶ岳の麓、諏訪湖を中心に盆地の広がる温泉郷とでも言おうか。しかし、ここは唯、単純に無限大の自然の深遠なる驚異と神秘を感ずる。

自然が創り出した聖地と一枚岩の感動的光景、自然は偉大なる神であろう。この土の香りと民族文化に感動する。そしてこの場所で、南無諏方南宮法性上下大明神諏訪大社奉納、太々神楽「御諏訪太鼓」奏ス日本人独此処在。

その場所、或いは時間帯によって違った趣表現が生じる、まるで違う曲を打っているような空気を感じる。風景として存在する奏(者)と聴衆の空気、その中で写真を撮る(者)。一瞬を感じ、「撮られている」と「撮られてしまった」のではかなり様子が異なってくる。

肉眼とレンズ越し。私にとって写真は瞬間を物語る。

この女性は誰かに見せる為に撮ったのではなく、ただ心動かされてレンズを向けたという。あるがままの現実を写す。その奥にある深い考察に感銘する。


"拝み"

“聖なる地”

遠景に程よく見え情景を支える。

何にもまして心を捉える。

天候の如く展開して行く為り、時と共に。

時に予想もしない形変化に此人生生命為。

瞬間的に時が止まったと感じたが時間は果てしなく刻まれ前へ進んでいた。

前へ進もうとしている。

此創造の瞬間となる。

それは、ほんの一瞬にすぎない。

その瞬間学ぶ。


さてと、最終目的地パースへ移動となる。

かつての光の街 ~Perth~



WA 最大のイベント “ Perth Royal Show ” “ Japan Pavilion ” が開催された。
系列 「葛飾諏訪太鼓」 の面々とお会いできた。遥々日本から外務省派遣でこの為にやって来たそうだ。葛飾のメンバーは非常によく練習されていると拝察できる。(私の練習と言えば、仕事が終わってから会社の倉庫を借り一人太鼓を打たせて頂いているのが現状だ。)


「“葛飾諏訪太鼓”:Subsidiary “Katsushika-Suwataiko”」
Web: http://www.k3.dion.ne.jp/~hi846/

“今回の旅奏” 3 音階から成る“鉄筒”による音律、音色をメインとした。

この打楽器は大八宗家により開発され実用新案登録されている。特にアメリカに於いては、米全土の太鼓団約 100 チーム余り、皆に重宝されている。又、類似した打楽器も数多く見受けられるという。

感じる音階の深みが空間の中に正氣する。

葛飾の方からの要望で“鉄筒”をお貸しする。(見事に使いこなしている。)

‘76無形文化財御諏訪太鼓伝承という事で小口大八宗家指導の下発足されたという。ここでも、大八魂は受け継がれている。元祖組太鼓日本全国津々浦々に点在する何万人と言う諏訪太鼓の打手の中、葛飾諏訪太鼓発足 30 年という歳月の長さと宗家が日本太鼓界を支える世論に大きな影響を及ぼしてきた事が言えよう。改めて組太鼓のすばらしさを実感する。

師、小口大八宗家の道のりが複式複打法組太鼓という形で伝承されている事に感激し気持ちが奮い立つ。

非常に味わい深い目で見る事が出来た一期一会であった。

旅の終演 ~ Australian Way ~

“ TAIKO of the God ” ~太々神楽 御諏訪太鼓~

I started by traveling on 27 August 2006 through the WA, Broom - NT, Alice Springs to Uluru - WA, Perth performing TAIKO and workshops which are talking pictures in great sprit and big heart.

It's a beautiful landscape and it's not disappearing.

Fly*2 away only to return my heart will never forget even die.

I came back to Sydney on 9 September at midnight .

一貫した意思の基、自らの考動、自らの足で切り出し行動に走る。

“身辺の雑記”の中に生じる心の整理、瞬間の一人の深みと強さ。

“信念を貫き通そうとする恥”信念を持って生きられるか問いただす事。“人生観”永遠に形容詞は付かない。いい加減に生きている者は付き合いづらい。

この“放浪癖”、本年日豪交流年を以って終るか否か、此“天地人”万物自然のみが知り自然意識が支える。“無限の力”それが意識の中で必然自己となる。

絶え間なく起こっている中で、時代が変わっても変わらないものがある。

独と付き合い、独を知る。然らば、大義名分が立つ。

インド洋に面した豪西の都市 Broom ~ Perth そして先住民族アボリジニ発祥地 SA 州管轄の北部準州( NT )の“聖なる岩・ Ululu ” AyersRock ~ AliceSprings 。一度は観光で訪れたいと思っていたが、こんな形でこの地に来る事は考えもしなかった。約 5 万年前ここ豪大陸にアボリジニが地域社会を形成した。

豪大陸の歴史の起源と豪連邦成立後の 100 年余りの歴史に無量の感を持つ。

民族文化の尊重、延いては土地(ダイチ)を最も尊重する彼ら先住者。取分け民族言語によるコミュニケーションに深い歴史を感じる。この国現在の多文化主義への転換と多民族国家の変化を歴史と自然からそして我が国日本文化の和太鼓に焦点を絞った今回の経験。過去における英国人による入植、ゴールドラッシュによる他民族の移住といった歴史そして白豪主義衰退、英国からの完全独立と英或いは米文化の支配からの脱却と共に今日のナショナリズムの興隆を支えている多様性をこの場所で身を持って認識した。

―必要とされる輝きに輝く~ Remembrance ~旅先で-

戦争の犠牲になった祖父、若くして満州黒龍江省にて没。

日本国政府から戦没者瑞宝勲章受けるものの、空しさ強く感ずる。

その息子が私の父である。父は幼少の頃父親を亡くしほとんど記憶が無い。

交わした会話、家族との食事、共有した時間すら記憶に無い。

わがままも言わず、言えずに。

家族との写真たった一枚。それは父の七五三の写真。

尊い温もりと面影がわずかにこの写真から。

祖母、髪結い女手一つで息子 1 人娘 2 人一家を支える。真冬の諏訪の凍りつく寒さの中、徹夜で製糸女工の帰省路の髪結いに追われ家族養う。

そんな明治生まれの気丈な祖母も今は居ない。

ただ当時祖父が日本帰国直前に帰途を記した手紙が今も大切に保管されていた。

毛筆で丁寧に書かれ家族との再会を楽しみにしているとの旨、まぶたに残る。無念の思い。

そして父は私が出生の折、祖父の名を私に授けた。

諏訪大社参拝に家族と行った私の七五三の写真がある。

普段と何ら変わりない。

わずかな思い出を残し時が流れ、川と流れる。

そんな時代に生まれ育った父も 70 歳になる。

命を与えられ今受け継ぐ安らぎに何かが伝わる。

明治生まれの祖父、相当頑固者だったという。

戦争を知らない世代と戦争の犠牲になり命を落とした人々。

夢と現。 - 旭日昇天 -

「“天地和合意情に到り万物神一始為”」

“SPONTANEOUS”

The once man sets sights on intend that make it necessary for me to leave hometown. I can not return until achieves not even to die there but do not worry. My bones can be burial any where, not just in my hometown. I can find peace in dying in any place I am. This poem means a lot to me as my psychological moment.




「 集落内からの遠景と続く赤土道 」

合掌

オーストラリア、シドニーに於いて

2006 年 10 月吉日

御諏訪太鼓保存会   関口達夫



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