天鼓道場 Dojo Tenko


「無 ~ 創造」

Essay

「~紐育紀行記~」

「 ~ 紐育紀行記 ~ 」

「 時を刻む一人旅 」

  5 月 23 日 Sydney 空港 1 : 45pm 発 United Airline 便で Los Angeles まで所要時間がおよそ 14 時間。 L.A から New York 間は United Airline の Domestic 便に乗換えとなった。この間の飛行時間が約 6 時間である。 Sydney から N.Y までの総所要時間が 20 時間程となる。私は過去にこれだけの長い飛行時間の旅というのは記憶に無い。機内では殆ど寝ていた気がする。

  アメリカ最大の都市 N.Y が近づくにつれての上空から望む景色はアメリカ大陸の壮大さと共に密集する住宅群と高層ビル群が N.Y という街の大きさを映し出していた。飛行機が大きく旋回してケネディ空港へ着陸する準備を整える。高度が徐々に下がっていく。機内放送が流れている。 N.Y の天気は快晴だ。胸の高鳴りと共に自分は小口大八宗家御諏訪太鼓を奏しに来た事を再認識する。観光旅行と違った面持ちで N.Y へ降り立った。



「 夜の Big Apple 」

New York 現地時間 23 日夜、 JFK 空港 ( John F. Kennedy International Airport in New York, U.S.) に無事到着。

私自身アメリカ西海岸は過去に数回行っているが、東海岸は今回が始めての滞在となる。空港では靴を脱ぎそして靴の中をチェックすると言ったはなはだしい厳しい通関チェックを通過し U.S へ入国した。 9.11.2001 以降は極めて厳しい入国検査が徹底されている。

空港ロビーには“紐育太鼓愛好会”(御諏訪太鼓、小口大八宗家命名)のメンバーの方である F さんがお迎えに来て下さった。この方は 2 人の息子さんと共に親子一緒に太鼓稽古をされている方である。

早速 “Super Shuttle” と呼ばれる Van に乗り、夜のニューヨーク“ Manhattan ”にある宿泊先 Hotel へ向かった。

30 分程するとマンハッタンの高層建築“摩天楼”群が視界一面に広がる。

一際目を引いたのが赤く映し出された “Empire State Bldg” であった。

夜の街マンハッタンをすいすいすり抜けていく Van 。

平日の夜ではあるが人出が多く活気がある。きっと週末ともなるともっと賑やかなニューヨークの夜の街が映し出されるであろう。

滞在先となるホテルはこの “Empire State Bldg” 近くにあるはずだ。

やはり街の中心部にあった“ THE NEW YORKER Ramada ”。部屋は 28 階であった。

到着したこの晩は通称 Korean 街と呼ばれる一地区にある雑居ビル内の韓国 B.B.Q レストラン“ Seoul Garden ”へ夕食を食べに行った。韓国料理となると普段はかなりの量を食べるがこの晩は意外と少食であった。飛行機におよそ 20 時間も乗ってきて、たいして体も動かしていなかった為かどうも胃が収縮していた様だ。体は正直に反応する。それでも美味しい料理と白米には大満足した。

Hotel へ戻る途中で地下鉄 Subway, MTA の乗り方を聞く為、 Subway へ立ち寄った。明日は一人でマンハッタンの街を気ままに散策しようと考えていた。

 

 

「 Downtown - Ground Zero & Wall St 」

5 月 24 日朝。

Sydney との時差が 15 時間有るせいか、早朝 5 時半頃に目が覚めていた。

それでもベッドの中でうとうとしながら、今日の予定行動を考えていた。

何だかんだで、 Hotel を出たのが 8 時半過ぎであった。目の前には夜とは違った顔の “Empire State Bldg” が堂々とそびえ立っている。






人口およそ 750 万人の世界屈指の経済大都市“ニューヨーク”。

このホテルの斜向かいには“ Madison Square Gardens ”があり、さらにその先には有名な“ Broad Way” がある。ブロードウェーは以前から聞いていたが実際こうして見て歩くと多くの劇場が軒を連ねる華やかな大通りだ。南北に延びる目抜き通りで、いかにもニューヨークらしい賑やかさがある。ふっと思ったが、実は自分の住んでいるシドニーにも Broad Way と呼ぶ地区があるが、さすがに全く似ても似つかない規模である。

Broad Way 沿いの Café で朝食を取った。その後、 MTA (地下鉄)に乗り南下し Downtown へ向かった。

South Ferry 駅まで行った。ここの駅を降りた一帯は“ Battery Park ”と呼ばれる公園である。その界隈をのんびりと散歩する。ここの一角に戦没者を称えた慰霊碑がそして道を挟んで勇気ある移民者を称えている象徴のブロンズ像が道行く観光客の目を引いている。



そこの公園を離れ世界の金融市場を動かすウォール街“ Financial District ”区域へ足を延ばした。まずは、グラウンド・ゼロ (Ground Zero) :世界貿易センタービル (WTC) 崩壊跡地へ行った。跡地はこの区域の一角に属する。既に新しいビルの建設が始まっており、 9.11.2001 の面影は無い。ただここは明らかに同時多発テロの被災地である。その事実を記した犠牲者を偲ぶ大きな壁画が隣り合わせのビルの外壁に埋め込まれていた。ちょうど Pizza 屋のテナントが入ったビルの裏通りにあたる。この場を訪れる人達が足を止め見入っている光景の中には涙する人も見られる。当時の事の悲惨さを認識する。







この Pizza 屋で Coke と Pizza を買いベンチに腰掛けて昼食を取った。

ゆっくりと周りを見渡した所、この先に Wall Street( ウォール街 ) がある。早速歩き出す事にした。昼休みという事もあってか多くのビジネスマンが外で昼食を取っていた。この Wall St に面して“ NY Stock Exchange” ニューヨーク証券取引所がある。この建物正面に掲げられていた巨大なアメリカ国旗は、アメリカ経済の象徴を意味している様であった。




金融街( Wall St )を抜けて、 “Museum of the American Indian” アメリカンインディアン博物館を訪れた。インディアン先住民族の歴史を顧みる。多くの資料展示品の中、アメリカ合衆国のインディアンに対する畏敬の念が伺える。 30 分程で博物館を後にし、再び South Ferry 駅から地下鉄に乗る。地下鉄では列車が到着する毎にキーキーと大きなブレーキのきしむ音がやけに耳についた。あまりの音に耳をふさぐ人も見受けられた。私は列車に乗り 34St Penn Station で降り界隈の店を見て回った。ある靴屋で黒人の店員が話しかけてくる。「 どうだい調子は? 」と、まあこんな Funky な感覚の乗りである。見た目は Funky だが人は悪くなさそうだ。道行く多くの黒人は似た様な容姿ファッションで意気揚々と街を歩いている。特異な都市である。

これがいわゆる“ New Yorker ”という事であろう。

 

「 Broad Way 」

Hotel に戻ると、電話に Message が残されていた。 F さんから「今夜ミュージカルを見に行きませんか?」というお誘いであった。自分も特別予定も無かったので早々電話をして行く旨を伝えた。

“ Broad Way ”は“ Union Square ”からは南北に斜めに延び、又 Union Square を南下し“ Financial District ”迄続く大通りである。その一角の“ Union Square Theatre ” で「 MAYUMANA 」という Musical Show を観賞する。夜の 8 : 00 開演である。早めに会場であるシアター窓口でチケットを受け取った。開演まで 1 時間程時間があるので Union Square に直面する “Heartland Breweries” という地 Beer 工房が店内にある、洒落た Pub に入った。平日の夜であったがほぼ満席、運良く 2 人で腰掛けるテーブルがあった。 F さんと地ビールを飲みながら世間話に花を咲かせた。パッと時計を見ると 8 : 00 近くになっており慌てて店を出て会場へ向かった。随分と座席は埋まっていたが、特等席が空いておりそちらへ座らせて頂いた。絶好のポジションで観賞させて頂いた。彼ら出演者はイスラエル、スペイン系出身者で、多くの打楽器に見立てた身近にある物、例えばゴミ箱、バケツ、バスケットボールといった多種多彩な物を使いリズムに合わせて踊るエンターテイメントである。観客を飽きさせない様に上手く構成された Show であり自分もしばしば大笑いし楽しい ShowTime であった。それと共にやはり本場 Broad Way に於ける Performer は大きな夢を持ちながら日々演技に磨きをかける情熱が伺い知れる良い機会であった。

 

「 Central Park ~ Times Square 」

5 月 25 日、この日は丸 1 日自由時間である。

Hotel 内の Restaurant で朝食を済ませる。 Hotel を後にして早朝の街並みを歩いた。ここは街中という事もあってなのか N.Y は地下鉄をはじめ交通移動手段が充実している事に驚く。私の様な N.Y 初心者でも意外とあちこちへ出掛ける事が容易い。この日も地下鉄に乗った。目的地は“ Central Park ”である。地図上で見た限りではかなりの敷地である事が伺える。“ 72 St ”で下車した。自分でも何故かわからないが、この辺りでいいだろうという気ままな動機で降りた。早速、道行く女性に声を掛け Central Park の場所を聞き確認した。ここからは 10 分足らずで行ける。 2 ブロック程歩くと公園らしい林が見えてきた。横断歩道を渡り、公園に足を踏み入れた。直ぐに何だかわからない人だかりが見えた。近くに行って見ると“ IMAGINE” と地面に書かれた排水溝の蓋の様な物が目に入った。ちょうどメンテ (Maintenance) をしている最中であった。イマジン (Imagine) と言えばやはりジョンレノンが浮かぶ。案内板を読むと、どうも彼と Wife である Yoko 夫妻が生前多額の寄付をしてこの記念の Object がある様だ。近くにいた方が写真を撮ってくれると気を使って言い寄って頂いたが、自分はこの地面の部分だけここへ来た記念に撮った。因みにこの場所一帯は “Strawberry Fields “と呼ばれている。





“72 St” で下車した事が、非常にラッキーであった事をこの後、直ぐに認識する事になる。近くの湖 (The Lake) を覗くと絵描きに出会った。ちょっと N.Y の喧騒から離れ、ゆっくりくつろげる自然豊かな環境に浸らすことは人間の微妙なバランスを保つ事になると感じた。それからしばらく歩いていたがとんでもなく公園が広い事に気がつく。とても端から端までは今日は行けないと思った。頃合いを見計らい公園を後にした。何気なく下車した“ 72 St” 駅。そして同じ駅から地下鉄に乗り “Times Square” 駅にて降りた。ちょっと雰囲気を見ておこうと言う好奇心からである改札口を出ると、きらびやかなネオンと無数の看板が目に入ってくる。東京新宿に似たイメージであったが N.Y はもっと活気付いている。時間も余り無くゆっくりと滞留出来なかったが Energetic な N.Y の一角であった。



 

「 ~ 天鼓巡回 in N.Y ~ 」

「 おむすび 」

5 月 26 日、この日は由緒あるエリス島 (Ellis Island) に於いての和太鼓演奏日であった。この島はマンハッタン (Manhattan, NY) からは僅かの距離にあるが New Jersey 州 (NJ) に位置する小島である。この小島はかつてのアメリカ移民管理局である。

  当日早朝“ Battery Park ”へ集合し島までフェリーでの移動となる。

フェリーはリバティ島とエリス島へ渡航する為、朝から乗客の長蛇の列が出来ていた。わずか数分の間にとんでもなくこの列が長くなっている事に気がつく。 N.Y への観光客は必ずこのフェリーコースが観光に含まれている。

私達団体は“ National Park Service ”による優遇特別ルートでセキュリティー検査を済ませ早々に搭乗できた。フェリー搭乗後早くも右手には巨大な自由の女神像が視界に入ってきた。そしてマンハッタンの摩天楼の街並みもフェリーから一望できる。



アメリカを象徴する自由の女神像。フランスからアメリカ合衆国の独立記念百年を記念し 1886 年に贈呈されたという。そんな中リバティ島に到着する、私達はここでは降りずにエリス島へ向かった。この島が今回の演奏会場であった。紐育太鼓愛好会のメンバーと共に上陸する。

エリス島は自由の女神像が立つリバティ島 (Statue of Liberty) に近接している。かつてアメリカへ移住を希望する移民の入国移民管理局があった場所で、現在は博物館になっている。赤レンガ造りの建物が 1954 年までの約 60 年間に渡って移民局として機能していた。上階にあるかなり広いホールがかつての入国審査場である。赤レンガ造りの建物のホール内にはいかにもアメリカらしく大きな“星条旗” が両端に掲げられていた。かつての 13 の植民地を表す赤と白の横筋模様に 50 州を表した星の数。

もう一度申し上げるが、ここはかつてヨーロッパを始め世界各国からアメリカ合衆国へ移住を希望する移民者の移民管理局があった場所である。かつての先人達(日本人も含まれている)が夢と希望を抱き上陸入国し 50 州に点在して行った。その先祖を持つ今の世代の者は我々とは違った面持ち、感情を持たれている。アメリカ合衆国は彼らを称え当時の移民者の名前が博物館横にある石碑に刻まれている。

長い時が刻まれた今日 ( コンニチ ) 、縁があって私はこのアメリカ合衆国の歴史が刻まれた格式と品格あるこのホールにて日本太鼓伝統芸術打芸を演奏させて頂く。ここでの“ Asian Pacific American Heritage ”というイベントに於いて“マンハッタン太鼓”と“紐育太鼓愛好会”そして小生のソロ演奏、御諏訪太鼓を奏した。ここのホール内は Echo がかなり効いており、日本文化の象徴である和太鼓の音色は敏感に反響“やまびこ”していた。









演奏を無事終了、片付け梱包荷積みをし終える。

その後外のテラスでメンバーの方々と景色を眺めながら昼食をとった。

自由の女神像そしてマンハッタン (Manhattan) からブルックリン (Brooklyn) にかけての景色が一望できる場所であった。

私は Café で Cappuccino と Muffin を買った。

昼食最中メンバーの日本人の方より“おむすび”を確か 4 つ頂いた。ほんとに旨そうなおむすびで自分にとっては何よりの御馳走であった。郷里岡谷小学校での春の遠足で行った“やまびこ公園“で食べた昼食を彷彿させる様な感覚であった。やっぱり自分は生粋の日本人だなーと異国で思う一時である。

実際のところ購入した Muffin は食べずに“おむすび”に舌鼓を打っていた。

メンバーの皆様、おいしい“おむすび”を頂きまして有難うございました。

この日は週末と言う事もあって地下鉄が South Ferry 駅まで走っていない。

一部の間隔は運休している様だ。(シドニーでも週末はよくある光景なので状況は理解出来た。)

帰りは Bus で Hotel 近くまでの移動となった。 Bus でのマンハッタン巡りも悪くないと考えた。 Bus に乗車すると、 Bus ドライバーが自分に興味を持ったらしく運転手の後ろに座れと言われ、自分は斜め後ろの席へ座る羽目となった。自分に色々と質問をしてきた。「ニホンノドコカラキタンダイ ? 」「ケッコンハシテルンカイ ? 」「イツマデ N.Y ニイルンダイ ? ・・・」と言った世間話をしている間に“ Penn Station Madison Square Garden ”が見えてきた。そこで下車しドライバーに別れを告げた。

良くも悪くも N.Y 初の Bus 乗りはちょっとした思わぬ人との出会いで楽しくなるものである。

 

「 ハーレムに迷う 」

5 月 27 日は午後から名門コロンビア大学構内 (Columbia University) に於いての御諏訪太鼓演奏 Workshop の予定があった。

何分土地鑑が無く不慣れな街である為、迷ってはいけないと思い 11 時前には Hotel を出た。地下鉄に乗り事前に聞いていた“ W116 St ”にて下車し地図を片手に指定された場所へ向かった。会場へは 12:15 に行けば良い事となっていた。随分と早く駅に着いたので一人駅の界隈を歩いていた。

如何せん好奇心もあり折角 N.Y へ来たのでと時間に余裕があった為、更に足を延ばしてみた。その内明らかに道に迷っている自分に気がついた。公衆電話を掛けようと思ったが小銭¢ 50 が無い。

どうやら完全に道に迷ったらしい。

街路には多くの黒人が見受けられる、時間は刻々と過ぎていく。

ふと見ると携帯電話を片手に歩いてくるガタイのいい黒人に声をかけた。「 ここは何処ですか?自分はここに行かなければならない。」とこんな具合に話した。彼は、大きな微笑( Big Smile )を浮かべてこう言った。「 ココハ Harlem ダ ! 」と言う。イヤーあの噂に聞いていたハーレム街であった。(あちゃー。あちゃ・・ !? ) Marcus Garvey Park という公園付近で迷っていた。どうやら彼は自分に興味を持ったらしく色々と質問をしてきた。「 君ハ日本人カイ ? 」「ああ、いかにも生粋の日本人だ。」と Chatting 会話が始まった。「 何ヲシニココヘ ? 」「いやーだから道に迷って・・・・。ホントはここに行きたい・・。」そして、電話を貸して欲しいと伝えた。彼は「ドウゾ。」と差し出した。だが自分は使い方が良く分からないので手っ取り早く携帯番号を伝えた。

電話が繋がったらしく彼は担当の T さんと話している。 T さん自身も誰だかわからない人からの電話で戸惑っていた様だが、彼の律儀で紳士的な説明の上、事の状況を理解したらしい。 T さんは随分びっくりされていた様であった為、自分に電話を代わり改めて事情を説明する。彼は「 Taxi ニノッテイッタラスグダ ! 」と言う。彼は更に大きな微笑を浮かべ自分を見つめている。その後、彼は親切に Taxi をつかまえて自分を乗せてくれた。無論運転手は黒人。彼はここへ行ってくれと運転手に説明している様だ。しかも驚いた事に彼が Taxi 代を払っているではないか !? (あちゃー。あちゃー。× 2 )ホント面目ない。「 Taxi ダイハオレガハラウカラキニスルナ ! Mr. Taiko Drummer!! 」と言っていた。体中から Jazz リズムを発散させているような一人の出会った黒人の印象。彼は本当に気持ちのいい男である。別れ際思わず写真を撮り、名前を聞いたが忘れてしまった。

私はこの機は稀な一期一会と悟り、御諏訪太鼓宗家小口大八師匠から頂いていた“御柱(オンバシラ)お守り”を彼に授けた。そして私は後ろ髪を引かれる思いでハーレム街を跡にした。

ようやく会場へ到着。

お迎えが 2 人、エントランス入り口にて待機されていた。

「皆さん遅れてすいませんでした。」その後、何事も無かったかのように御諏訪太鼓代表曲“飛龍三段返し”の曲演奏 Workshop が始まった。

N.Y, Harlem で出会った黒人の友。

彼は自分にとって守護神(人)であったと今振り返る。

Mr. 守護人。いつかきっと再会できるであろう。

New York City is simply because it's one of the most vibrant, energetic cities in the World.

All connected, all are linking that way of Traditional Japanese art Taiko.

That's part of my life.

I am proud of being Japanese.

時を刻む道“日本鼓道”。

永遠に満足感は無い。

N.Y 天鼓旅路の道標(テンコタビジノミチシルベ)。

鼓玄正派源流御諏訪太鼓流家元、宗家小口大八師を始めとして今回お世話になった皆様に心より感謝申し上げます。



 

合掌

信濃之国一之宮諏訪大社太々神楽

鼓玄正派源流御諏訪太鼓流

 

御諏訪太鼓保存会

関口達夫


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