天鼓道場 Dojo Tenko


「無 ~ 創造」

Essay

「The 2006 Australia-Japan Year of Exchange -年末に寄せる雑記-」

December 2006

「 “ Australian Way ” 流離 ~ 価値 ~ 寂 ~ 回顧時点 ~ 日昇 」

「 流離 」

絶え間なく起こっている。
気を持たせない様にと。
出会い、別れ。その意味。
元来、流離(サスライ)感という心性も持っているのだろう。

何かにこだわり入れ込み、止まり戻り、迷いも尽きず、塞がる時もある、此れ事大方(オオカタ)勘違い。
やめる覚悟があるなら、此のめり込むのもいい。

やめたら察して知るべし。
起こるべき事をした時、成るべくして成り調う(トトノウ)。
変化万別動恐挑樹を育整。
納得行くまで旅続。
良以脈広、事有事励、或煽動(センドウ)檄飛ばされる。
其者真何処にも属せず、何にもとらわれず古流如(コリュウゴトク)。

4 月、桜咲く候故国へ里帰り、郷里岡谷市は釜口水門のある諏訪湖と天竜川の水源に位置する。
今回の帰国は特別の面持ちで家族との再会となる。その有様に心痛む。

余は保育園、小学校と 9 年間同級であったM君と彼の父親の弁護士事務所で酒を交わす。
偶々(タマタマ)M君は帰省していた。彼は当時から秀才であった。

東大修士を出てから医者を志し医大に進み三十路で医師試験をパス、某都内大学病院に勤め今後は米に研究に行くそうだ。見上げた男だ。酒が強く、嫌みのない男で面白く色々と世話になっている。どうも女医さんと婚約したらしい。今後どんな人間になるのか楽しみだ。そんな僅か5日程の滞在と望郷の念を余所(ヨソ)に、私は一人米桑港(ソウコウ)、サンフランシスコへ向かった。

駅のプラットホームには杖を付いた父親が見送りに来ている。

里の水の流れ“天竜川”の流石、ただ純粋。
段々(ダンダン)と苔、藻がくっついてく。
今では元の形も分からない位歪んでいる。
水流、流石、自由そのもの。
身心行動無目的も考。
有為転変(ウイテンペン)不如意成事、間関屈託不可避。
景物との邂逅(カイコウ)と移ろい。
変わらないものがある。
動いて転がり出来ていく物もある。
追懐、やらないだけ、やらない為の理由付け、やる為に何をするか。
以せせこましい人間小、価値は無い。
豪に居る意味、“旅放浪記”まだ暫らくは続きそうだ。

7月、自然界の猛威をふるう。豪雨による天災により郷土岡谷で 7 人没。 

合掌

「 価値 」

ある所からのスタート。
一人の生粋の日本人として。
実社会の生き様を体験すると同時に社会の冷たい風にも触れる事になる。
2006 年日豪交流年、一人旅奏の放浪記。
地域を超えた日本の和太鼓との交流。
自分の目と足で世界と見識を広げる。
豊かな経験の中、計り知れない価値があった。

経験というのは偉大である。
人の目に触れた瞬間、姿勢に変化が生まれた。
見た人は何かしら“心”が動く。

心の豊かさは、必ずいい方へ生きてくる。
これは、金の価値を超える。
自負と自信が備わる。
変転きわまりない人生。
事の本質、どのように生きるか。
そこに、人生観が宿る。

さらに、捨てる勇気。
何を捨てるかの決断も必要。
経験が決断し行動できる力になる。
これは非常に厳しい事でもある。
主張の中の自覚と覚悟。
体現を問いながら生きていく。
厳しい生き方と引き換えに。
決して欲張らずに。

目を向ける方、もっと先には何があるのか。


「 寂 」

大兄境地進命尽男気頑体を張りここまで自らの美学を貫き続ける人物は珍しい。
以頑固一面偏屈故時折寂(淋)しさ発現す。

即我人間としての本質は仮面の裏側に垣間見られる。
過ぎ去っていないのであろう。

滞在中何度か口にし、筆を運ばせる。


「“酒に友あり、呑んで友あり、嬉しき友と心を解す”」



人格形成雖も(イエドモ)淋(寂)しい如豪南東部在一日本人古流正統空手道家。
日本伝統の象徴美として敬服する。
特殊な事情の裏に、巡り出会った日本人伴侶への傾斜が今をもたらしている。

今日(コンニチ)の世の中、情報メディア社会延いては総合格闘技流行。
前者大兄決して媒体手段を好まず。


“ビジネスとしてか”或いは“武道”


守るべき道(道義)としての思想の基では主体性が大きく異なる。
前者はメディアとビジネスが同一支配され後者は一つのコダワリと言えよう。
確固たる心(シン)と軸。


“時代のメディア技術という伝達媒介に拘らず己自らに拘る。”

一刻だが凄い男である。
大卒後日本を発ち早 40 年。
空手身一つで来豪、当時の大臣より永住権授与。
マレーシアでの生き様又全豪王者(某団体)の巨人との威信をかけた死闘他。
因みに死闘後この彼は、早々直弟子入りしている。
今や数少ない使い手、総合的古武道における規範行為取分け妙手ヌンチャクは称賛に価する。
今まで多くの日本正統空手道師範と言われる人間を見てきたが一味違い又癖もかなり強い。
出会い尊ぶ古流一匹狼。
何処にも属せず、何にもとらわれず古流如。求める方向は同じか。


一詩、「“吾が行く道を貫く者なり、惑わかす事なかれ”」


その時代も今も海外で何かやるなら全部己でやる覚悟が必要と言う事である。


“日本人の本質”


今、我々に求められているのは、姿が人々に、世界にどう映っているか冷静に判断すべき時だ。
至る流れの中でも変わらないものがある。 奥深床心引敬慕為。



「 回顧時点 」

時(トキ)あって郷土出身作家新田次郎(ニッタジロウ)著の、吉川英治文学賞受賞作「武田信玄」を読んだ折(オリ)に能動。後にこの作品 1988 年 、 N HK大河ドラマ「武田信玄」の原作となる。又、信濃川中島で宿敵・上杉謙信との激戦を取り上げた名作 1969 年、 角川映画「天と地と」、何れも「御諏訪太鼓」は時代回顧出演している。

戦乱の世、天下取りに夢を賭けた最強の戦国大名、武田信玄(晴信)と軍師、山本勘助との軍略そして、永禄(エイロク)四年( 1561 ) 9 月 10 日、川中島での合戦に於いて、倭(ワ)神代の頃から諏訪大社に伝わる「“太々神楽、御諏訪太鼓”」7人衆の“神音(カミネ)”が「“諏訪大明神”」・「“武田菱風林火山”」の“神軍旗”と共に、一人の甲斐国戦国武将と参謀(サンボウ)、そして多くの将兵は恐れず進軍し勇敢に戦った。御諏訪太鼓を筆頭とし武田本陣は“神音”に士気鼓舞(シキコブ)される。“神の音”切れ間なく激しさを増し早打ち為る、馬の蹄(ヒヅメ)の音も高鳴る為り。この地で幾多の戦(イクサ)が繰り広げられた。

著者は文壇では認められた直木賞作家でもあったが、この作品は戦国時代の群像の生き生きと生きる“生き様”がこの書の引かれるところだ。この時代に諏訪神社は既に全国に約 3,000 の支社があったという。基本になった史料の一部は古文書「甲信越戦録」(コウシンエツセンロク)が根拠であるという。

戦国時代の剣を持つ生き様の覚悟と天下泰平(テンカタイヘイ)の徳川江戸時代での剣(刀)を持つ意義。
“武将(ブショウ)”から“侍(サムライ)”への時代の移り変わりに思いをはせる。

我々の文化がどのように培われてきたか、その時代の人間がどう生きていたのか、実に腑(フ)に落ちる。

昨今、時代と共に忘れつつある仁、義どれだけ勇敢であったか。この誉れを受け継いでいる古流日本人が誉れでもあろう。和の文化と時代の変化、化に挑む姿勢翻(ヒルガエ)、異郷に骨を埋める覚悟は貫く事を意味しよう。

かつては門外不出、今や門弟稀、反面打ち手、新興は∞星の数。現在の日本世界の和太鼓ブーム、“礎芸術的表現打法”全ての潮流は元祖“組太鼓” 1964 年の 東京オリンピックに於ける御諏訪太鼓の初披露に基づいて起こる。

神楽から音楽太鼓への千変万化。

その時動いた。

当時を知る国立劇場(無形文化財)担当であった、西角井先生(現、実践女子大教授)は、「“将来これが和太鼓の主流になると信じて疑わなかった。”」とコメントされている。

その後、記念すべき 1977 年の 国立劇場第一回「日本の祭り」では真打をとる。
太鼓師、小口大八宗家、太鼓海外公演延べ 90 カ国を超える。
稽古中、自分に「やー、あと 100 m!千秋楽!やー、生命力だぞ !! 生命力 !! 」
と激を飛ばされた事を思い出す。
敬、 83 歳翁斯道生涯現役、本年もシンガポールにて海外公演をこなす。
道は尽きない。

今日(コンニチ)の北米大陸における“御諏訪太鼓”の評価の高さ、欧羅巴(ヨーロッパ)における芸術的価値の言われの源と思わざるを得ない。

日本(和)太鼓の打芸打楽は端緒を開いた組太鼓を基礎とし、今以って文化発展又多くの団体、打ち手は日々派生し続けている。

それぞれの抵抗と俗にまみれる事を後ろ盾とする新興。

姿勢批判に自己批判の中の肯定此人の心空虚為り、立ち止まる事なき器為り。
小口大八宗家創始創案、西角井先生命名、“複式復打法”即ち元祖“組太鼓”。
元祖、世界的和太鼓奏者“神様”鼓玄正派源流御諏訪太鼓流家元、日本太鼓、鼓師、小口大八宗家。
この先も、和太鼓“組太鼓”スタイルは永遠と語り、そして奏で継がれる。
試みの衆、其の中以って動く行為となる。
其々(ソレゾレ)の形に進化する。
広い世界の何処かで国境無く永久(トワ)に。

時移さず此あるかな、「“天鼓(テンコ)”」の 2 文字: 

鼓師、小口大八宗家 1981 年、 日米御諏訪太鼓祭に於いて、サンフランシスコ日米宗教連盟会長、日蓮法華正宗管長、米国日蓮仏教団本部、北米大本山日蓮寺、大僧正“石田 日天”師より授かった一つの掛け軸。

鼓訓“天ノ鼓打ツ”御諏訪太鼓、地ノ太鼓ト共ニ空間ニ太鼓ト神音有リ、諏訪雷(イカヅチ)。

頭上振リ上ゲル事大技大動作ト為リ。( NHK 大河ドラマ武田信玄、風林火山諏訪雷)

話を聞いた折、自身の直感と個人的な心象或いは心性に左右される所があり、込める気持ちにとても幅があったと回顧する。
この折、自分の姿勢に変化をもたらした。
余、いざ知らず、まだまだ道は遥かなりけり。

「“天鼓の二文字然天与なりけり。志す先此道成りけり、思いと重い処点在。”」



「 日昇 」

In the end of 2006 - The dying year  ~ Midnight to Dawn ~



The Japanese called for Japan is “ Nippon ” that means “ origin of sun ”. Often referred to by the Western world as the land of the “ rising sun ” (日昇 - 日の丸) Japan is most commonly thought of as the country that has traditional Japanese drums TAIKO and traditional KARATE ( empty-handed ) but large tradition remain unaffected by western influence.

A Traditional Japanese Ceremonies are as common as a solemn temple ceremony at the local shine and dedicated to the local shine just as much part of daily life as the obedience and self-restraint still as potent as in the time of the samurai warrior.

Whenever or any period so long as the individual cultivates the spirit and is able to express it for the particular task I believe authenticity is maintained also is individualism, liberty, independence, justice and humanity.

It is never too late to mend.


伝統の中の伝承。
和太鼓を打ち続けている限り、この思想は変わらない。

いつの時代でも精神を磨き上げ、その精神を表現できる人である限り、この真正たる価値は個人主義等においても信憑性は維持できると信じる。

2006 年日豪交流年、徐に自分に向き合いそして個と向き合った。

自然界と文化の根源、至る起点は一人称の源泉為り、誇りという永遠の意味こそ道為、かかる意味は故事来歴(コジライレキ)為。

世代の若人よ。
財を築く、功を成す事だけが人生の成功者では無い。
日々の暮らしの中、時代の流行とは無縁の一挙一動身体の動きと意識に内在する伝統、習慣、文化の源泉がある。
時代と共に変化をもたらすだろうが普遍的伝統が感化し体現される。
即ち“伝統の創造”に到る。
自由な幅と深みを感じ、日本文化の来歴に日本人としての誇りを持つ。
此人に達する実質信義貫為。

我国の文化、如何なる基礎の上に立っているか知らず輩が多い。
徴してその様な輩は精神的文化に乏しい。
若いうちは、体力は誇示できよう此自明の理。

一点一詩、「“何処までもぶつかる氣魄未だ強、空しさ満身に包む、此致方なし”」

“速・切・気迫”

21 世紀初頭一人の日本人、荘厳な自然豪大陸で日本文化なる意義有し、余は、孤独なりけり異国の地、立つ処、見えてくる事想起するなり。


I believe that the issue of "cultural authenticity” is difficult to approach since the individual can define it. I believe it is better to frame the issue in term of ownership which is important for Japanese to be able to feel a sense of ownership over the space occupy and image to the public.

It is encouraging to see someone who is introducing our culture to the World and Australian someone have to do it as we more or less have been looked after by this country.


日本の持つ芸術文化の自然さや信憑性は、個人によって意味合いも変わるだろうが我々日本人は自ら位置する永遠不変の空間と世間(俗)の持つイメージを“所有する”という言葉に置き換えられる。

自国の気質・精神、伝承伝統が継がれる行為の本能が価値を生じる。

然(シカラバ)、時代は変わっても変わり得ない、変わらないものが正しく瞬間(氣)に於いて舞台となる。
ほとんど分かっていないことが多い永久普遍の源である。

I should know between the words of “Reason” to “Excuse”.

合掌

2006 年日豪交流年、極月

信濃之国一ノ宮諏訪大社  太々神楽  御諏訪太鼓保存会

在シドニー 関口達夫


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